寺院概要

寺院名
浄土真宗本願寺派 慈珠山光山寺
代表役員 第16世住職
武田 晋
所在地
〒758-0063
山口県萩市大字山田4553番地
TEL. 0838-22-1370
FAX. 0838-26-2510
寺院概要
 光山寺は 初代 武田将監信春が、親鸞 聖人の遺風を仰ぎ1541年(天文十年)本願寺第十代宗主證如上人の元で得度し1564年(永禄七年)年に草庵を建立したことに始まります。
 続いて第三世了順の代に正式に寺号を賜り、第四世了員の代に奥佐古山の麓より当地に移転しました。また、その寺号も初代の長州藩主で大照院さまこと毛利秀就公が正室 、龍照院喜佐姫さま(龍照院長誉光山秋英大禅定尼)のご遺言により寺号の「自然寺」より「光山寺」に変更したと伝わっています。
 以来480年、火災を初め数々の困難があった中、歴代住職は浄土真宗の法灯を油断なく継承し聞法道場を維持し門信徒はよくその化導にしたがい相携えて法義の護持発展につとめてきました。
 1990年、(平成二年)に庫裡は新築されましたが、永年の風雪により本堂・境内地など損傷し、2021(令和三年)門信徒の皆様のご懇念により 修復し慶讃法要をお勤めさせて頂きました。
法務員・所属僧侶数
法務員 3名(曜日交代制)・光山寺所属僧侶 7名
総代(4名)
責任総代 堀 誠一
  総代 福永義博 野村精一 岸八重子

沿革

1547年3月
天文十六年(1547)三月、初代の武田信春が本願寺第十世宗主證如上人を頼って出家得度し、法名を了春と号した。
1564年
草庵建立の開基は、永禄七年(1564)とある。
16**年
第三世 了順 『防長寺社由来』によると、「当代に本願寺より寺号申請候」と記載される。別資料でもこの代に寺号が許可されたとする。
1649年
第四世 了員の代、慶安二年(1649)、奥佐古山の麓(玉江一区)より現今の地に寺基を移転し、山号も「時守山」と称した。現在は「慈珠山」という。
1655年
喜佐姫(龍昌院)が逝去の際に、遺言で戒名から二字を下さり、それまでの寺号の「自然寺(じねんじ)」を「光山寺(こうさんじ)」と改め、その菩提を朝暮に弔った。ご逝去の後の五十回忌迄は当山住職が焼香を申しつけられたと記録される。
1685年
貞享二年(1685)より光山寺は本願寺直末だったのが端坊末となり、宝永七年(1710)には本願寺下興正寺門跡の直末となっている。(口羽衛士が自社奉行の時) 
1686年
貞享三年(1686)に火災があったようであるが、詳細は不明。再建記録が現存。
1729年
本堂は七間と八間半とあるが、享保十四年(1729)から二年間は免税を申し出ており、借米などしている。尚、寛保元年(1741)頃までは山号は「時守山」と称し伝来している。
1736年
元文元年(1736)3月8、釣鐘(梵鐘)を調達しているが、銘はなかったようである。高さ三尺二寸、差渡二尺。この釣鐘は、第二次世界大戦にて仏具とともに供出される。(昭和十七年七月二十七日の山口県よりの依頼文が現存)現在の梵鐘は、第十四世憲雄により昭和五十年に再建される。
1839年
天保十年(1839)、当山の竹木伐採と牛馬の放し飼いが禁止されている。
1846年
弘化三年(1846)六月、本堂庫裡の老朽化により再建したとする。本尊・七祖御影・蓮如御影・七祖御影の修復もしたようである。
1854年
 嘉永七年(1854)、龍昌院(萩藩初代の毛利秀就の正室)の二百回忌の作善執行を仰せ付けられる。
1876年
現在の本堂建立時の寄付札は明治九年(1876)となっていたが、明治十五年(1885)三月七日付けにて今日の本堂の形に改築申請している。多年の修繕の怠りと記録するが、本堂の後堂と本堂右側(現納骨堂側)の畳回廊を半間削減して、間口を現在の八間とし全体のバランスを取った形にしている。新旧の見取り図が現存する。尚、鐘楼は二間四面で、現在の門前は馬場と記載されている。
1898年
明治三十一年(1898)六月に山口県知事より墓地新設が許可されている。(現在墓地の山道上側。
1990年
昭和六十一年より本堂と山門の屋根の葺き替え、庫裡(広間部分)の新築工事を行い、平成二年五月に落慶している。落慶・継職法要は平成三年。
2020年
平成の大修復により境内地の舗装化や本堂格天井彩色などの修復を行う。尚、住居部の庫裡は平成26年に改築。
歴代住職・坊守
開基     了春  天正 十六年 三月  十日得度
           慶長 十六年十二月二十二日寂
第二世    了祐  元和  四年十二月 十八日寂
第三世    了順  寛永 十七年 七月二十二日寂
    同室 員順  延宝  七年 六月二十六日寂
第三世 中住 冨閑  正保  四年 三月二十四日寂 ※詳細不明
    同室 妙閑  宝永  八年 一月 十七日寂
第四世    了員  寛文 十二年 一月  七日寂
    同室 妙壽  貞享  元年 二月二十九日寂
第五世    了讃  正徳  三年 五月 二十日寂
    同室 妙證  正徳  元年 十月二十四日寂
第六世    了應  宝暦  六年 九月二十九日寂
    同室 妙馨  享保 十七年 三月 十六日寂
    後室 真操  安永  三年 四月  三日寂
第七世    惠観  天明  七年 五月 十四日寂
    同室 貞念  明和  四年 八月二十九日寂
    後室 妙惠  寛政  十年 六月  二日寂
第八世    惠閑  文政 十三年 十月 十七日寂(享年七十四歳)
    同室 妙欽  文政  四年十二月 十二日寂
第九世    惠雲  天保  五年 一月 十八日寂(享年四十九歳)
    同室 妙栄  天保  九年 九月二十一日寂
第十世    泰成  安政  五年十二月 十一日寂(享年六十歳)
    同室 妙真  文政 十三年 五月二十二日寂
    後室 員剛  天保 十四年 二月  七日寂(享年三十三歳)
第十一世   泰圓  明治三十四年十二月  十日寂(享年七十五歳)
    同室 妙心  明治三十四年 七月 十四日寂(享年七十五歳)
第十二世   了証  明治三十五年 四月二十七日寂(享年六十五歳)
    同室 貞◆ 大正  七年 四月二十五日寂(享年八十歳)
第十三世   了真 大正  九年 一月二十一日寂(享年四十六歳)
    同室 清楽 昭和三十八年 三月  五日寂(享年八十三歳)
第十四世   憲雄 昭和五十九年 八月二十二日寂(享年八十歳)
    同室 久慶 昭和五十八年 八月 十八日寂(享年七十歳)