仏事いろいろ

2016年お彼岸《春》
◆お浄土が彼岸です  村上泰順
                     (中央仏教学院講師/大阪府専光寺住職)
                                    (本願寺出版社 平成28年2月1日発行)

        
   ◎夕陽の彼方に
    母親と近所の淀川に散歩することがあります。河川敷が整備され、浅瀬だと川
   底が見えて、魚が泳いでいることも確認できます。夕方は陽が沈み、真っ赤な太
   陽が川面に反射して、川が赤みがかってきます。
    淀川の夕陽を見て、母は「こんなきれいな夕焼けは見たことない」と時々口に
   します。私は、昔の人が夕陽の彼方に仏の浄土を見られたことを思い、「確かに
   そうだ」と納得していました。
    太陽が真東からのぼり真西に沈む春分、秋分の日を中心に前後3日間の一週間
   がお彼岸です。また、お彼岸に寺院で行う法要を彼岸会といいますが、単にお彼
   岸ということもあります。
    お彼岸は日本独自の仏教行事です。平安時代の始め、崇道天皇のたたりを鎮め
   るために全国の国分寺、国分尼寺で春分と秋分に『金剛般若経』を読誦したのが
   はじまりだといわれています。
    平安時代中期の作品である『蜻蛉日記』には、お彼岸になるので、敷物を清楚
   なものに換えて精進しようと思い立つことが書いてあります。この精進は心身を
   整え戒律にしたがった生活をしばらくすることと思われます。さらに、数十年後
   に書かれた『更級日記』には、お彼岸のときに清水寺が混雑していたとあります。
    また大阪の四天王寺で、彼岸に貴族らが極楽往生を願って、西門から夕陽の沈
   む大阪湾に向かって念仏するという、大念仏会が平安時代には盛んであったとい
   います。(五来重著『続仏教と民族』参照)
    このように少しずつ形式、内容ともに広がりを見せながら、お彼岸が広まって
   いたようです。
    彼岸(彼の岸)は此岸(此の岸)に対する言葉です。此岸が迷いの世界である
   のに対して、彼岸とはさとりの世界です。
    また、彼岸は到彼岸を略した言葉で、インドの言葉を漢語に音訳すると波羅蜜
   となります。到彼岸とはさとりに到ること、または到るための実践修行を意味し
   ます。したがって六波羅蜜の修行をするのがお彼岸ということになりそうですが、
   一週間の修行でさとりに到れるものではありませんので、「さとりを目指すきっ
   かけにせよ」という意味が、お彼岸に込められていたのかと思われます。そのた
   めか、どの宗派の寺院もこの時期に彼岸会を勤められます。
   
   ◎おまかせして生きる道
    私たちにとって、彼岸とは、阿弥陀仏の浄土のことです。
    『妙好人伝』に次のようなお話があります。
    寛延年間(1750年頃)、石見国(現在の島根県)に石橋寿閑と錦織玄周と
   いう医師がいました。玄周が寿閑の住んでいる高見村を訪れたときに、寿閑の家
   に泊めてもらいました。
    御法義に篤い玄周は、仏さまにお参りしようとして、仏間の場所を尋ねました。
   すると寿閑は「地獄、極楽は坊さんが金銭を得るために言っていることで、学問
   をした医師が取りあうものではない」と言いました。玄周は「このように仏縁の
   ない人もいるのに、私はなんと幸せものか」と思い、念仏して寝ました。
    3年後、再び用事があって高見村に来た玄周が寿閑を尋ねました。今回は挨拶
   だけで帰ろうとしたところ、寿閑は是非上がれと言って、以前はなかった大きな
   お仏壇の前に案内しました。玄周が驚いて事情を尋ねると、寿閑はつぎのような
   話をしました。
    寿閑の寵愛する娘が昨年6歳で亡くなりました。臨終に娘は「私が死んだら何
   処へ行くの」と尋ねました。どう答えていいかわからないままに、娘の心を安ら
   かにしようと「死ねば極楽という結構なところへ行く」と言いました。「どうす
   れば極楽に行けるのか」とさらに尋ねましたので、「手を合わせて南無阿弥陀仏
   といえば行くことができる」と言いました。娘は「ありがたいことだ」と言い、
   一心に念仏して命終しました。
    このことが縁となり、娘のためにという思いで、お寺にお参りするようになり
   ました。一座、二座と重ねて聴聞しているうちに、難しい修行や自分の称える念
   仏の力で往生しようとしてもできるものではなく、他力の念仏に依るべきことが
   わかり、ご本尊をお迎えしました。
    そして寿閑は、「いまや玄周と一味の信心である」と言い、3年前の非礼を涙
   ながらに詫びました。
    寿閑は娘に尋ねられて、思ってもいないお浄土のことを話しましたが、娘は親
   の教えをありがたく受けとめて、一心に念仏して亡くなっていきました。寿閑は、
   娘のためにと思って聴聞を重ねることによって、阿弥陀仏を頼りとし、阿弥陀仏
   におまかせして生きる道を見出しました。それは「ただ念仏して弥陀にたすけま
   いらすべし」という世界でもあります。
    お浄土は、阿弥陀仏があらゆる人びとを救いたいという願を立てて建立された
   世界です。阿弥陀仏のさとりの世界であり、私たちを仏のさとりに到らせる世界
   です。「先立つわが子は善知識」という言葉がありますが、寿閑にとって、お浄
   土は亡き娘を縁として見出された世界であり、帰する場として、依りどころとし
   て、また娘に会える場として、寿閑にはどうしても必要な世界でした。
   
   ◎帰ってくる場所、支えてくれる場所
    あるテレビ番組のことです。したいことはたくさんあるが、踏み出す勇気がな
   いと言っていた20歳の女の子に、「どうすればいいのか」とアドバイスを求め
   られた同世代の女性タレントが「一歩踏み出さないと何も始まらないから、時間
   がもったいない。あなたにはいい家族がいるのだから、帰ってくる場所と支えて
   くれる場所がある。それが一番の強みだから、恐れずに一歩踏み出してほしい」
   と話していました。
    躓いても、失敗しても帰っていく場所があり、そこを支えに生きていれば、何
   が起こっても乗り越えることができます。私は「帰ってくる場所と支えてくれる
   場所」という言葉を聞いて、感銘を受けるとともに、お浄土はこのような場では
   ないかと思いました。
    私たちの人生は旅に譬えられます。私たちは日々よろこんだり悲しんだりしな
   がら生きています。そのすべてをそのままに、旅の目的地まで運んでくれる船に
   乗っていれば、船の上が安らかでなくても、目的地に着きます。この目的地はお
   浄土で、船は仏のはたらきを譬えています。私たちが生きていく上での、依りど
   ころであり、私を支える大きな力があれば、たとえ苦難が多くても、苦難のまま
   に生きていけます。それは寿閑の生きる相を見ればわかります。
    お彼岸は、私たちにとっては、浄土を想い、自分を見つめるときです。私たち
   は多くの人びとのお陰で、自分を見つめることができ、多くの親族知友が亡くな
   ったことを縁として、仏の教えを聞き始めますので、おのずから亡き人を偲んで
   墓参も盛んになってきます。
    彼岸会は浄土真宗では讃仏会ともいいます。お彼岸にあたり私を支える阿弥陀
   仏の恩恵をよろこび、仏を讃えてお念仏ができれば素晴らしいことです。