仏事いろいろ

2015年報恩講
◆さすがは、報恩講!  満井秀城
                    〔総合研究所副所長/広島県西教寺住職〕
                                 (本願寺出版社 平成27年9月1日発行)

        
   ◎「ご命日」、ご存じですか?
    「報恩講」は、本願寺第3代宗主覚如上人が、宗祖親鸞聖人の33回忌に当たり、『報恩
   講式(私記)』を著され、宗祖聖人の遺徳を讃仰されたことに始まります。以来、連綿と聖
   人のご命日を通して、ご本山ではご正当の1月16日をご満座として8日間にわたり報恩講
   法要が勤められ、また全国の一般寺院や多くの門信徒のご家庭では、年内にお取り越しとし
   て勤められることが定着しています。
    いささか唐突ですが、皆さんは徳川家康や源頼朝の命日をご存じですか? よほどの歴史
   の専門家か、地元の方くらいしか知らないでしょう。どちらも当時は絶大な権力者でしたが、
   その命日を知る人は今やほとんどいないと言ってよいでしょう。
    これに対し、親鸞聖人のご命日は今日おそらく何百万もの人がね「1月16日」と即座に
   答えてくれることでしょう。その理由こそが、報恩講の定着です。
   
   ◎どんな時でも、報恩講だけは
    報恩講の定着は、単に多くの人に命日を覚えていただいているだけではありません。それ
   によって、大きなお育てを頂戴しているのです。それをあらためて実感したことを、今回ご
   紹介したいと思います。
    昨年5月半ば頃だったと思いますが、私の在籍する本願寺派総合研究所の同僚T研究員さ
   んのご自坊で、親鸞聖人750回大遠忌法要が巌修されました。その法要で、私が記念法話
   を依頼されたことに始まります。
    法要当日は晴天に恵まれ、たくさんの稚児行列で賑わい、その後、近隣の寺院の方の出勤
   による『宗祖讃仰作法』が音楽法要として厳粛に修行され、最後に、愚生が記念のご法話を
   お取り次ぎさせていただきました。そのお寺は、滋賀県米原市にあり、室町幕府の四職・京
   極氏に列なる名刹です。立派な本堂のたたずまいが晴天の青空に映え、すべてが感動のうち
   に円成し、私も尊いご縁を頂戴したことに大きな喜びを抱きながら、そのお寺をあとにしま
   した。
    それから10日あまり経ったある日のこと、同僚の別の研究員さんから衝撃的なメールを
   受け取りました。その内容とは、わずか10日前に訪れたあのお寺が、火災によって本堂と
   庫裡が全焼したとの報せでした。あまりのことに暫く呆然とし、「人的被害はいません」と
   の一文に辿り着くまで、かなり時間がかかったことを、今も鮮明に覚えています。
    本堂だけでなく庫裡も全焼したため、袈裟などの衣も全て消失したと聞きました。それで
   も、年回法要などは境内に仮設テントを張って勤められていたそうで、時折そのような報告
   を聞きながら、数カ月が過ぎていきました。
    そんなある日のこと、そのTさんから私に、「報恩講だけは、何とかご門徒に集まってい
   ただいてお勤めしたい」「寒い時期になる(米原地区は豪雪地帯)ので、テントではなくど
   こか集会所などを借りて勤めたい」ということで、私にその報恩講への出布を依頼してくれ
   ました。
    大変な中なのに、「報恩講だけは」という尊い思いに心打たれ、日時の約束をさせていた
   だきました。
    会場として借りておられた集会所に向かう途中、駅まで迎えに来てくださった門徒総代さ
   んが、火事で全焼したお寺に立ち寄ってくださいました。見れば思い出す懐かしい山門と、
   広々とした境内地に、本堂も庫裡の跡形もなく、ただ建物があったはずの礎石だけがくっき
   りと残り、本堂から少し離れていたために類焼を免れた親鸞聖人の銅像が、とても寂しそう
   に見えたのは、私の気のせいだったでしょうか。
    会場の集会所に着いて、驚きました。たくさんのご門徒方が集まっておられ、また色々と
   手伝っておられるのです。そして、集会所がぎゅうぎゅう詰めになるほど、多くの方が聴聞
   してくださったのです。
    「こんな大変な時に、報恩講どころではない」、世間の感覚では、そう思っても不思議で
   はないと思います。
    順調な時にはね「ありがたい」「もったいない」と素直に喜べても、いざ災難や不幸に出
   会うと、「神や仏もあるものか」と捨てばちになったり、あるいは逆恨みさえ抱きかねない
   のが世間の価値観でしょう。
    そんな私たちのあり方について、親鸞聖人は和讃の中で、
   
       無明煩悩しげくして
        塵数のごとく遍満す
        愛憎違順することは
        高峰丘山にことならず             (『註釈版聖典』601頁)
   
   と詠まれています。「愛」と「憎しみ」は正反対のようですが、実は本質的にはまったく同
   じものなのです。私たちは、自分にとって好ましく、自分に都合のよいものには愛着を感じ
   ますが、都合の悪いものには憎しみを感じます。自分の都合によって「愛・憎」を感じ、そ
   れが高い山や峰のように膨れ上がっていくのです。信頼していた人に裏切られたら、「可愛
   さ余って、憎さ百倍」です。また、最近問題になっているペットの虐待も、かわいいと思っ
   て、買った時は大事にしていても、飽きてきたり持て余したりすると、平気で棄ててしまう
   のが私たちの身勝手です。
    そのような身勝手な私たちであるだけに、どんな大変な時でも、御恩を喜ぶことのできる、
   「報恩講」の本当のすごさを目の当たりにいたしました。
   
   ◎悲しみのなかにこそ、お念仏をいただく喜び
    親鸞聖人が「正像末和讃」を書かれた85歳の時とは、法義のけじめをつけるためとはい
   え、断腸の思いで実子善鸞を義絶された、いわゆる「善鸞事件」の翌年にあたり、まさしく
   悲嘆のどん底にあられたと思われます。その「正像末和讃」58首の末尾が、あの「恩徳讃」
   なのです。
   
       如来大悲の恩徳は
        身を粉にしても報ずべし
        師主知識の恩徳も
        ほねをくだきても謝すべし(『註釈版聖典』610頁)
   
    悲しみのどん底にありながら、いやむしろそれだからこそ、阿弥陀如来のお慈悲を喜ぶこ
   とができる。念仏者の強さは、ここから来るのでしょう。
    そのような念仏の道を歩まれた親鸞聖人の御恩を偲ぶご縁が報恩講であり、その原点が味
   わえたことを「さすがは報恩講!」と標記させていただいた思いなのです。