仏事いろいろ

2015年お盆
◆お母ちゃん、怒ってるかなぁ  玉木興慈
                     〔龍谷大学教授/大阪府浄興寺衆徒〕
                                 (本願寺出版社 平成27年7月1日発行)

        
   ◎お盆の風景
    ご本山や全国の寺院では、一年を通じてさまざまな行事や法要が勤まります。主なものを
   挙げれば、修正会(元旦会)、春秋のお彼岸、永代経法要、宗祖降誕会、お盆(歓喜会)、
   報恩講、除夜会などです、お寺で勤める時にはご門徒にお参りに来ていただきやすいように、
   いろいろと工夫をこらします。なるべく多くの方にお参りに来ていただきたいという思いが
   あるからです。
    僧侶同志で話していると、本当は報恩講法要に一番多くお参りしていただきたいと思いな
   がらも、どうしても永代経やお彼岸・お盆の方に意識が向いていることが多いと感じてしま
   います。なかでも、お盆は日本の年中行事として根付いているということができるでしょう。
   最近のお盆には、海外旅行に出かける方もたくさんおられますが、帰省ラッシュやUターン
   ラッシュで、道路が渋滞し、列車・飛行機などが満席になりますね。実家でのお盆が大切に
   されている証でしょう。
    ご門徒のお宅に寄せていただく時には、お寺から近い所は自転車や原動機付自転車(原付)、
   少し離れた所には車でまいります。自転車や原付で走っていると、お盆には日頃の数倍も多
   くのお坊さんとすれ違います。近隣寺院の知り合いの方ばかりではなく、面識のない方とも
   多くすれ違いますが、互いに軽く会釈することがお盆の一つの楽しみです。
    暑いなか、ご門徒宅の仏間にあがらせていただくと、最近はクーラーが効いているお家が
   多くなりました。私がお盆参りの手伝いを始めた25年ほど前には、まだクーラーの付いて
   いないお宅がたくさんありました。高校を卒業して大学に入ったばかりの私の背中を、両親
   よりもまだ相当年長のおばあちゃんが、お勤めの間、ずっとうちわで扇いでくださったこと
   が、懐かしく思い出されます。
   
   ◎死んだお母ちゃん、怒ってるかなぁ
    私たちは、お仏壇に向かう時、どのようなことを考えているでしょうか。日ごろの習慣で、
   決まった時間にお仏壇に向かう時があります。また、何か嬉しいことがあった時、逆に辛い
   ことや悲しいことがあった時などにも、お仏壇に向かいます。お仏壇の仏さまに報告したり、
   対話をしたりする貴い時間ですね。
    お盆、特に家族・親類が亡くなって初めて迎えるお盆には、故人を偲び、故人との交流を
   それぞれに思い出しながら、親類と過ごします。楽しかった思い出ばかりではなく、喧嘩を
   したことなどを思い出すこともあります。
    亡くなった親の年齢に近づき、初めて親のことがわかったとおっしゃるご門徒がおられま
   す。寝たきりになり介護を受けながら、晩年を過ごされた親御さんに向かって、きつい言葉
   をかけたこと、冷たい態度をとったこと、痛みに寄り添うことができていなかったことなど、
   今になってようやくわかりました。とおっしゃるのです。
    「辛かったんだろうなぁ」
    「痛かったんだろうなぁ」
    優しくしてあげられなかったことを後悔したり、反省したりされるのです。そして、
    「死んだお母ちゃんは、『今頃、気づいても遅いわ』『生きてる時に優しくしてくれなか
   ったら、何にもならないわ』って怒っているかなぁ」
   などと心配される方もおられます。
    でも、お浄土に往生された故人は、決して怒ってはおられません。阿弥陀さまのおはたら
   き(本願力)で、故人はお浄土で仏さまになられています。仏さまになられた方は、この世
   に残っている私たちのことを常に見守ってくださっています。ですから、「怒っているかな」
   と心配されることはありません。
   
   ◎お盆は誰のために
    ご門徒のおばあちゃんが、幼い頃の思い出を話してくれました。今でも夏には、お化けや
   幽霊などの怪談がされますが、幼い頃、そんな話を聞いてしばらくは、夜中に寝室から離れ
   た手洗いに一人で行けなかったそうです。一緒に寝ていたお祖母さんをそのたびに起こして
   付いて来てもらったそうですが、そのお祖母さんの口癖が、
   「お化けなんかどうして恐いの。生きてる人ほど、怖いものはないよ」という言葉だったそ
   うです。
    確かにそうですね。
    生きている私たちは、自分に都合のよい人には優しく接することができますが、自分に都
   合の悪い人に対しては、冷たく接することがあります。けれども、この世の縁が尽きて亡く
   なり、お浄土で仏さまにならせていただければ、この世に残した親しい人を呪ったり、困ら
   せようとは思いませんね。
    最後に、『歎異抄』第5条の次の言葉について考えてみましょう。
   
      親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
                               (『註釈版聖典』834頁)
    親鸞聖人は、亡くなった両親のために追善供養の想いでお念仏申したことは一度もないと
   おっしゃるのです。追善供養とは、先に亡くなった方(故人)のために、葬儀や年回のご法
   事・月忌などの仏事をしっかり勤め、それを「善」として故人に回し向け、故人が迷わない
   ように善を追加してあげる、という考え方です。
    生きている私たちが、亡くなった方のために追善供養をするのではないのですね。亡くな
   った方が私たちをあたたかく見てくださっていることに、思いを馳せることの方が大切であ
   ると思います。「供養」という言葉で表現するならば、亡くなった故人を仏さまとして「讃
   嘆供養」する思いということができるでしょう。仏さまをほめ讃えるということです。
    お盆にはもちろんのこと、そのほかの日々であっても、いつでも、どこでも、阿弥陀さま
   や先にお浄土に往生し成仏された親しい方と、出遇うことができます。その出遇いのなかで
   私たちがお念仏を申していくことが、仏さまが最も喜ばれることであり、仏さまを讃えるこ
   とになります。
    親しい方が亡くなられたことによって、また新たな気持ちでお盆をお迎えします。故人の
   導きによって、お盆にお念仏を称える縁がととのえられたのですから、故人を仏さまにして
   くださった阿弥陀さまにお念仏を申すこと、私を必ず仏さまにしてくださる阿弥陀さまにお
   念仏を申すことも大切ですね。
    今年のお盆も、ともに南無阿弥陀仏を申していきたいものです。