仏事いろいろ

2014年お彼岸
◆彼岸に至る道  楠 淳證
                    〔龍谷大学教授 浄土真宗本願寺派司教〕
                                 (本願寺出版社 平成26年9月1日発行)

        
   ◎「暴流(ぼる)」に押し流される暮らし
     あれは2001(平成13)年のことでした。33歳の母親が小学校にあがったばかり
    の6歳の男の子を絞め殺してしまうという事件がありました。入学式の翌日だったそうで
    す。子育ての疲れからくる発作的犯行だったということでしたが、聞けば聞くほど「悲し
    み」が残ります。「子どもが息をしていない」という妻(母親)の知らせを聞いて急いで
    帰ってきた父親は、玄関口で事情を聞き、地団駄を踏んで悔しがったといいます。
     皆さんもよくご承知のとおり、親ほど子を大切に思うものはおりません。なのに、その
    大切な子を自らの手で殺めてしまう、そんな「悲劇」が人の世にはあるのです。
     平穏な家庭が、突如として「不幸」のどん底に突き落とされる、これが人の世の悲しい
    あり方といってよいでしょう。なぜこのようなことが起こるのか、と問いかける私たちに、
    お釈迦さまは「煩悩のなさしめるところである」とお教えくださいました。この煩悩の激
    流をまた「暴流」といい、その彼方にあるのが「彼岸」の世界であるといわれています。
     彼岸とは「生死の海を超えたさとりの岸」の意で、要するに「さとりの世界」に他なり
    ません。『華厳経』というお経典には「菩薩の十手」が示されていますが、その中の「彼
    岸手」の御文を見ると、「暴流の中で溺れる衆生をよく救済するので彼岸手という」と記
    されています。彼岸の前に立ちはだかる「暴流」こそが、私たちの悪しき心である「煩悩」
    に他なりません。
     この「暴流」によって善事という善事が押し流され、私たちは常に輪廻の世界を漂泊沈
    没し、苦悩という苦悩、悲しみという悲しみを身に受け続けているのです。
   
   ◎「赤紙」が来た
    一人の「暴流」が激発しただけでも、多くの人が苦しみ、悲しみます。ましてや集団での
   「暴流」は、悲劇につぐ悲劇を生み出します。その最たる例が戦争でしょう。
    ある年のお盆の頃のことでした。ご法事をお勤めし、お斎の席で、私の隣にお座りになら
   れた男性が、急にご自身の戦争体験を語り始められました。
   
    突然、赤紙が来ました。皆に「万歳三唱」で送り出されたのですが、いやはや軍隊という
   のはひどいところでした。私たち新兵はまず一箇所に集められたのですが、「怖いな、嫌や
   な、どうなるのやろ」と不安でいっぱいの私たちに、隊長がこう言いました。
    「お前たちの命は、わしがもらった。どう使おうとわしの勝手だ。生きて帰れると思うな
   よ」
   と。思わず涙が滂沱(ぼうだ)として止まりませんでした。すると隊長は、「根性をたたきな
   おしてやる」といって、やおら履いていた靴を脱ぐと、それで一人ひとりの頬を殴りつけて
   いったのです。靴には鋲(びょう)が打ってありましたから、皆、血だらけになり、文字通り
   昏倒(こんとう)しました。「これからどうなってしまうのか」と思うと、また涙があふれだ
   し、止まりませんでした。
    そんなあり方がずっと続きました。そして、多くの戦友が死にました。人の命がこんなに
   も軽かったことはありません。
    今の若者にはわからないでしょう。今はお念仏の暮らしをさせてもらっていますが、お盆
   やお彼岸になると、昔のことをついつい思い出してしまうのです。
   
    と、苦しそうにおっしゃいました。
    同様の戦争の悲劇は、他にも聞きました。ある年のお彼岸でのことでした。いつも必ず彼
   岸会にお参りに来られるご婦人が、満州から引き上げてこられた時の思い出を突如として語
   り始められました。
   
    敗戦の報が伝わると、皆、持てるだけの財産を持って逃げました。家財を持ちやすい貴金
   属やお金にかえて必死で逃げるのですが、その途中、ことあるごとに中国の人に財貨を取ら
   れてしまいました。山の麓で「百円出せ。出さないと通さない」というのでしかたなく出し
   ます。山の頂上にも人がいて同じことをいいますので、また百円出します。山を降りるとそ
   こにもいて、また百円。あっというまに全財産がなくなってしまいました。
    危害を桑売られることはなかったし、お金がないとわかると笑って通してくれましたので、
   中国の人には何のわだかまりもありません。でも、主人と築きあげたものは何もかもなくし
   てしまいました。今ふりかえると、あの満州での暮らしは何だったのかと思います。あれは
   夢だったのでしょうか。もう主人も亡くなってしまい、阿弥陀さまのもとに行きました。
   
   と寂しげに語られ、帰っていかれたのです。その後、ご婦人は3人のお子さんに見送られ、
   ご往生なさいました。
   
   ◎「何もなかったことが幸せだったのですね」の一言
    世の中には個々が起こす「暴流」、あるいは集団で起こす「暴流」によって苦悩のどん底
   に落とされることがしばしばあります。いかに人は暮らしをたてるべきなのか。これについ
   てお釈迦さまがお説きになられた八正道という生き方は、「仏の教えにかなった暮らし」を
   示す素晴らしいものでしたが、愚かな暮らしを送る私たちにとっては、かなわない道でした。
   そこで、お釈迦さまが次に説いてくださったのが南無阿弥陀仏の教えでした。「この教えが
   あるからこそ生きておれる」と何人の人がおっしゃったことか。今回ご紹介したお二人もそ
   うでした。
    しかし、悲しみは尽きる時がありません。あるとき、交通事故でご長男を亡くされたお母
   さんが、臨終勤行の時に冷たくなった我が子の顔をなでながら「急いで帰って来なくてよか
   ったのよ」とおっしゃいました。また、初七日の時には「何もなかったことが幸せだったん
   ですね」と遠くを見つめるようにおっしゃいました。しみじみと悲しみが伝わってまいりま
   した。
    「先立つ者は善知識なり」という言葉をよく耳に致しますが、あまりにも悲しい、そして
   尊い一言でした。こんな悲しみが続くからこそ、また南無阿弥陀仏のご本願が建てられたの
   です。
    久遠(くおん)のかなたから此処に響く南無阿弥陀仏のお呼び声、「必ず救いとるぞ」「摂
   め取るぞ」「また会える世界があるぞ」のみ声に、心の耳を傾け、お彼岸を迎えていただけ
   ればと思います。