仏事いろいろ

2012年お盆
◆お盆 ―涼やかなお仏壇―   天岸淨圓
            (浄土真宗本願寺派輔教 本願寺派布教使 大阪府西光寺住職)
                                          (本願寺出版社 2012年7月1日発行)

        
  ◎お盆の風習
    お盆は、旧暦7月13日から15日にかけて勧められます。浄土真宗門徒以
   外のご家庭では、13日の夕方に「迎え火」といって、苧殻と呼ばれる、麻の
   皮をむいて乾燥させたものを門口で焚いて、ご先祖をお迎えします。この日か
   ら15日まで大切なお客さまをおもてなしするように、盆棚を設けて「お香」
   「お花」「お灯明」をはじめ、「お膳」を調え「お菓子」「お茶」「果物」「
   夏野菜」・・・・・、小さなお皿に盛った精進料理などを供えてお接待をしま
   す。やがて15日の夕暮れには、さきの苧殻で「送り火」が焚かれ、ご先祖は
   帰ってゆかれると言い伝えられています。
    7月13日に先祖が帰ってきて15日にもとの世界に帰るという信仰は、仏
   教が伝わる以前からの日本の古い考え方に基づいているとされています。また、
   正月行事と同様の意味をもつとも言われます。そのような古くからの信仰に、
   中国の習慣や仏教の儀式が重なり合って、今日のお盆の行事が形づくられたと
   思われます。
    日本の古くからの民族伝承だからでしょうか、正月やお盆は「どんな意味で」
   とか、「なぜ」と不審を抱くこともなく、何となく大切で「心うれしく」「な
   つかしい」感じがあります。
    さまざまなお供物の供えられた盆棚で、亡き人のためにお経が読まれます。
   これは先に申したような、先祖に対する古い伝承の上に仏教の施餓鬼の仏事が
   重なったものです。施餓鬼とは、元来は餓鬼道に堕ちて苦しむ者を救うために
   営む仏事です。ただ現在では、ご縁の深い人々の死後の安らぎを願う仏事と考
   えられているようです。このように浄土真宗以外の教えでは、春秋の彼岸会や
   盂蘭盆会は、先祖を敬い供養する大切な行事と理解されています。
   
  ◎仏さまの言葉を聞く
    ところが、浄土真宗では盆棚を設けることはありません。また、施餓鬼の仏
   事としてお経を読むこともありません。ここに、浄土真宗と他の宗旨との大き
   な違いがあります。阿弥陀さまの本願力を聞かせていただき、念仏を申す者は、
   その本願のはたらきで、いかなる者も必ずお浄土に往生し、仏さまに成らせて
   いただきます。ですから、往生された方がたは、既に仏さまと成られて世界に
   充ち満ち、人々を救い導く方と成られているのです。そこに施餓鬼の仏事は必
   要ありません。
    しかし、大切な人を失った方には、亡き人が帰って来られるというお盆の習
   慣は、単純に否定し切れない想いがあることでしょう。慌ただしい日常に追わ
   れ、仏さまのことは勿論、亡き人を偲ぶ暇もない生活状況です。このような現
   代人にとって、日数の限定されているお盆こそ、ご先祖とのご縁の不思議、い
   のちの尊さを考え、何よりも「仏さまの教え」を聞き味わう大切な時間とすべ
   きでしょう。
    さて、阿弥陀仏の本願力を仰いで念仏申す者には、一般に「死」といわれて
   いることを、「往生させていただく」と聞くことができるのです。このように
   簡単に言うものの、なかなか理解していただきにくいことと思います。そこで
   少し理屈っぽくなりますが、仏さまのお言葉を聞くということについて、お話
   ししたいと思います。
    一般的に、教えや言葉を聞くとは、相手の言うことを自分の理性や知性によ
   って判断し、納得することです。そのことが納得できたら是認し、納得できな
   いことは否定をします。ただし、これは人間対人間の関係であります。では、
   仏さまと人間の場合はどうでしょうか。
    仏さまの教えられる言葉は、人間の理性や知性、常識の限界を知らせること
   ばです。ですから、常識の領域を超えた不可思議な言葉というべきなのです。
   このような超常識的な言葉を聞いて、単純に「よくわかった」と理解すること
   は不可能に近いのです。たまたま理解したと思っても、それはあくまで常識的
   に、自分流に仏さまの言葉を理解したことであり、それは私の思い込みに過ぎ
   ません。
    私たちは自分の能力で対応しきれず、理解不可能なことがらに対しては、相
   手自体が誤っていると考える傾向が強いのです。ですから超常識的なことには
   「そんなバカな」と思考を拒否し、かえって相手をバカにします。
    ためしに一度、「仏さまの教えを聞けば、私は死ぬのでなく、お浄土へ生ま
   れさせていただく身となるのですよ」と、ごく常識的にものごとを考えている
   人に言ったら、どんなリアクションが返ってくるでしょうか。
    いつの間にか、私たちは世界で一番賢い者になってしまっているようです。
   これでは仏さまの言葉を聞くことは出来ません。人間の知性を超えた言葉は、
   ただ言葉のままに受け入れるよりほかに聞くことができる方法はありません。
    阿弥陀さまは「往生」する、「生まれて往く」と仰せです。私が納得するの
   ではなく、仏さまの言葉のままに聞き、従うとき、先立たれた人々は、仰せの
   ままに往生された方といただくことができます。また、私自身も往生して仏と
   なるべき身と知らされます。この言葉の響くところには、「死」の虚しさと餓
   鬼道への恐れはありません。ですから、浄土真宗に施餓鬼の仏事はないのです。
   
  ◎お盆は涼やかに
    あらためて、お盆にはお仏壇を夏らしく、涼やかにお荘厳をしましょう。打
   敷を夏物に替えるだけでも、とても爽やかな感じになります。自分たちの着る
   ものは、夏物、冬物、外出用と、タンスにたくさん・・・・・・ではありませ
   んか。夏の果物などを毎日少しずつお供えをして、涼しげなお花、いつもより
   チョッと奮発してよい香りのお線香をもとめて、仏さまといっしょに、さわや
   かな香りを家族のみんなで楽しませていただくことも、お盆ならではの風情で
   しょう。
    いかにも、飾るためだけのお供物はどうかと思います。お供えした後で、み
   んなが喜んでお下がりとして戴けるものがいいのでは・・・・・・。子どもさ
   んやお孫さんたちが帰って来られるなら、その喜ぶ顔をご覧になって、仏さま
   もお慶びになるでしょう。家族が揃って阿弥陀さまの前でお勤めができるなら
   ば、誠に有り難い仏事と言わねばなりません。