仏事いろいろ

2012年お彼岸《春》
◆春彼岸に味わう   吾勝常行
                     (龍谷大学教授 浄土真宗本願寺派布教使 和歌山県眞教寺住職)
                                          (本願寺出版社 2012年2月1日発行)

        
  ◎春の息吹を知らせるお彼岸
    今年も春彼岸の頃となりました。24節気の一つ、立春が過ぎて雨水、啓蟄
   と春の息吹を感じながら春分を迎えます。春分になりますと、「暑さ寒さも彼
   岸まで」という言葉を耳にします。気候をあらわす慣用句です。残暑の暑さも
   秋分の頃、余寒の寒さも春分の頃には和らぎ、凌ぎやすくなるという季節感と
   ともに、生活の節目といった日本の文化をも感じさせてくれます。最近は冷房
   するにも暖房するにも節電対策がいわれますから、この言葉を聞くと“ほっ”
   とする方も多いのではないでしょうか。とりわけ春には、土筆(つくし)や蕗
   の薹(ふきのとう)が土の中から顔を出すという、自然界の息吹を感じる頃で
   もあります。この慣用句は、このように日本ならではの四季の移ろいを知らせ
   る表現です。
    さらに、春分や秋分の日であるお彼岸のお中日には、太陽が真東から昇り真
   西に沈む動きを観察することができます。この動きは、赤道上や北極点・南極
   点では見ることができないそうです。観察者の居場所が違うからです。真西に
   沈む夕日に向かい手を合わすことができる日、それがお中日なのです。
    中国唐代の善導大師は、
    
       その日(太陽)正東より出でて直西に没す。
          弥陀仏国は日没の処に当りて
                    (『註釈版聖典(七祖篇)』396頁)
   とお示しくださいます。地理の上では日本とほぼ同じ緯度に位置する中国のあ
   たりですが、真西に沈む夕日を観察する生活を通して、阿弥陀仏の極楽浄土(
   さとりの世界)が西にあることを教えている「道しるべ」の言葉です。道に迷
   う(煩悩に明け暮れる)者にとって、方角を教えてくれる道しるべはどれほど    救いになることでしょうか。
   
  ◎こころに響くリズム
    ところで、「暑さ寒さも彼岸まで」という慣用句は歯切れのよいリズミカル
   な七五調でてきています。たとえば、「もしもし、亀よ、亀さんよ〜♪」の歌
   詞ではじまる『うさぎとかめ』、子どもの頃に「夕焼け小焼けで日が暮れて〜
   ♪」と口ずさんだ『夕焼け小焼け』、『赤とんぼ』があります。
    また、仙台市出身の詩人土井晩翠が「仙台」の掛詞「千代」を「ちよ」と読
   み替えて思いを託した『荒城の月』など、明治時代の文明開化以降に作られた
   唱歌に多く、今も校歌などに採用されているそうです。この七五調の歌詞を持
   つ歌は互換性があるので、同じ七五調の別の曲で歌っても違和感がないようで
   す。
    さらに、浄土真宗のみ教えをいただく私たちにとって馴染みの深い親鸞聖人
   の『恩徳讃』や、『真宗宗歌』も七五調のリズムです。
   
       ふかき法に あいまつる
       身の幸なにに たとうべき
       ひたすら道を ききひらき
       まことのみ旨 いただかん
   
    私はこの歌が大好きです。特に「ふかきみ法にあいまつる〜♪」と声を出し
   歌うことで、しみじみとお念仏を味わうことができます。
    さて、この「ふかきみ法にあいまつる〜♪」と歌いながら、思い出すことが
   あります。それはお寺の、ある彼岸会のご縁です。
    「亡き夫が私に残してくれたものは、このことだったのですね」
    参拝されたあるご門徒さんの言葉です。ご法話をお取り次ぎさせていただい
   た後、ご住職が私にそっと伝えてくださいました。阿弥陀さまのお話を聞く、
   それが「このこと」の深い意味です。嬉しそうに話してくださるご住職の笑顔
   に、私は二つの大切なことを教えられました。
    その大切なことは何か。一つはご門徒さんの「気づき」です。私の知人に「
   気づきがやってくる」という方がいます。気づきは自分で気づこうと思ってで
   きるものではない、自分の意思でどうこうできるものではないというのです。
   阿弥陀さまのお話を聞くときの「聞く」は聞えてくる、気づかされ目覚めるこ
   とです。親鸞聖人のお言葉にも「ああ、弘誓の強縁」(『註釈版聖典』132
   頁)と記されています。気づきには、深くうなずき味わうお念仏の世界が広が
   ります。
    もう一つ大切なこと。それは、育ちあう人間関係です。気づいたことを分か
   ちあえる、人の温もりがあります。浄土真宗では、これを「御同朋」と呼び習
   わしてきました。人は自分のことを否定されると身構えてしまいます。だから
   こそ、自分のことを大切に聴いてもらえると感じたとき、はじめて自分をあり
   のままに話せるのでしょう。「話す」とは、心にしまっている大切な木持ちを
   「放す」ことです。決して捨てることではありません。聴いてもらえたという
   安心感が必ず生まれます。ご門徒さんの「気づき」を、うなづきながら耳傾け
   るご住職の姿がそこにありました。
   
  ◎ふかきみ法にあいまつる
    私は、このご門徒さんの「気づき」とご住職の笑顔を、「ふかきみ法にあい
   まつる〜♪」と歌うことで呼び覚まされます。その意味で、お彼岸の仏事とは
   私にとって人生の「道しるべ」です。阿弥陀さまに見守られて、あなたの心の
   中に生きておられるその方と、しっかり向き合うことのできる時間であり、ま
   た「私のことを見守っていてね」と言える場でもあることを教えられました。
   お浄土の世界があることを知らされればこそ言えるのです。
    そこであらためて、この「ふかきみのり」を味わってみたく思います。門弟
   唯円房の著とされる『歎異抄』後序には、「聖人のつねの仰せ」として親鸞聖
   人のお言葉を記してあります。
   
      弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなり
      けり                 (『註釈版聖典』853頁)
   
   というところです。聖人の内面からにじみ出た「つぶやき」。言わずにおれぬ
   喜びだったのでしょう。親鸞聖人からにじみ出た喜びの清水は、お側に仕えた
   唯円房の心を豊かにうるおしたことでしょう。
    このように、親鸞聖人をして言わしめた阿弥陀さまのご本願。お釈迦さまの
   お説きになる『仏説無量寿経』には、48の願いとして誓われています。その
   一つ一つに「設我得仏・・・」とあり、「わたしが仏になるとき、このことが
   成就しないようなら、わたしは決して悟りを開くまい」とお誓いくだされてあ
   ります。一つ一つに、です。よくよく味わってみれば、これは阿弥陀さまの「
   みのり」(誓願)です。一つ一つの奥深くに、阿弥陀さまの「みのり」を聞か
   せていただきます。この「ふかきみのり」を説く時のお釈迦さまのお顔は、生
   き生きと光輝いておられたとその経典には記されてあります。この阿弥陀さま
   を褒め称えて、浄土真宗では彼岸会のことを「讃仏会」ともいいます。