仏事いろいろ

2011年お彼岸《秋》
◆お彼岸を迎えて   田中教照(武蔵野女子学院院長 武蔵野大学教授)
                 (本願寺出版社 2011年9月1日発行)

        
  ◎お浄土をめざして生きる
    お彼岸は、真西に沈む夕日の向こうに西方極楽浄土があると考えた人々がそ
   のお浄土への往生を期して、年に2度営むことにした行事です。「暑さ寒さも
   彼岸まで」といわれるように、季節の変わり目を実感する節目としても、生活
   上、重要な意味をもっています。
    地球が丸いとわかった今、飛行機で空を飛ぶことができる今では、実際に、
   西方にお浄土があると信ずることはできないかもしれません。
    しかし、お浄土を想い、あこがれを持つということは、私たちには必要なこ
   とです。お浄土を目指して人生を生き抜いていこうとする人と、そのような目
   標を持たずに生きる人では、生きる力が違ってきます。
    人間は、誰かのためとか、何かのためとなると、とてつもない力が湧いてく
   るのではないでしょうか。阿弥陀さまの願いがいきわたっているお浄土は、い
   つも皆が「他の人のために」という大慈悲の心を大切にしている世界です。こ
   こを目指して生きることは、とても大切な生き方ではないでしょうか。
  ◎喚び招いておられる声
    さて、戦前、広島文理大学の教授であった白井成允先生は、次のような素晴
   らしい詩を残しておられます。
   
     業風吹いて止まざれども
     唯だ聞く弥陀招喚の声
     声は西方より来りて
     身を繞り髄に徹る
     慶ばしいかな
     身は娑婆にありつつも
     既に浄土の光耀を蒙る
     あはれあはれ十万の同胞
     同じく声を聞いて
     皆倶に一処に会せん
       南無阿弥陀仏             (『招喚の声』白井成允)
   
   「業風」の業とは、いろいろな日常の想いや行い。具体的には、いろいろな出
   来事に襲われて、あれこれと悩むことです。私たちの毎日は悩むことばかりで
   す。思い通りにならなければ不満です。思い通りに行ったとしても、次のこと
   を考えたら、どうなることやらと不満です。
    しかし、阿弥陀さまは、そういう私たちこそ、“助けるー”と仰るのです。
   それが「弥陀招喚の声」です。それが南無阿弥陀仏です。親鸞聖人は、南無阿
   弥陀仏は、阿弥陀さまが私たちを「喚び招いておられる声」と受け止められま
   した。ですから、私たちも、南無阿弥陀仏は、「このわたし(阿弥陀仏)をよ
   りどころとせよ」と喚び招いてくださっている阿弥陀さまの喚び声と聞かせて
   いただくのです。
    そして、その声はまさにお浄土から来ているのです。南無阿弥陀仏のお喚び
   声を聞くとき、ただ聞くだけではなく、この声はどこから来ているのだろうか、
   と考えてみる必要があります。どこから喚んでくださる喚び声だろうか、と、
   その方向を尋ねてみると、それはお浄土からのものであることに気づきます。
   お浄土が立派に建立された暁には、阿弥陀さまの名が十方に知れわたるように
   と誓われた、そのお誓いをもとに、私たちのところへ至り届いてくださってい
   たのです。
    そして、この喚び声は
   
      なんぢ一心正念にしてただちに来れ
      われよくなんぢを護らん     (『註釈版聖典七祖篇』467頁)
   
   と叫んでおられるのであると、中国、唐代の善導大師は「二河白道の喩え」の
   なかで教えてくださいました。ですから、私たちがこの喚び声である南無阿弥
   陀仏を心に頂いていきますと、知らぬまに阿弥陀さまの智慧の働きに護られて
   いくのであります。
    それを白井先生は「既に浄土の光耀を蒙る」と仰います。この世にありなが
   ら、仏の智慧をいただき自分の本性が分かってくるのです。それは多くの先祖
   からの命の繋がりの中で私がこの世に生を受けながら、自分ひとりで大きくな
   ったかのように錯覚してしまうこと、また、同世代の命にも支えられながら今
   を生きているのにいつも自分が中心でなければ承知しないこと、などに深く気
   づかせてくれるのです。そして、きづかされながらも、なお、感謝する前に不
   平や不満をいってしまう自分であることを反省させられます。
    しかし、そんな私たちを不平、不満のない人になれと仏さまは要求されるの
   ではありません。不平、不満がやまないからこそ南無阿弥陀仏を届けてくださ
   り、「なんじを護ってやる」と喚んでくださるのです。
    親鸞聖人は、このお護りを『教行信証』のなかにおいて、「目に見えないも
   のに護られる」(冥衆護持の益)、「もろもろの仏さまに護られる」(諸仏護
   念の益)、「仏の智慧にこころが護られる」(心光常護の益)と示されました。
  ◎お浄土は語りかける
    今回の東日本大震災のような、大きな思いもかけない大災難では、人間の思
   いもよらない悲劇が生まれます。生き甲斐にしていた家族を一度に失われた人
   など、これから何を生き甲斐にして生きていったらよいのだろうと、途方に暮
   れておられる方もいらっしゃることと思います。
    さて、誰しも先立っていかれたご家族が今どこで何をしているのかと、恋し
   い気持ちになることがあるのでしょう。お浄土は、あたかも全ての川の水が海
   に帰り着くように、無量の命が至り着くところでもあります。それを阿弥陀さ
   まは、無量寿仏国と教えておられます。二人の息子さんに先立たれた白井先生
   は、「一人居て果てしも知らぬ愛しさに子らの名を呼ぶ我が子らの名を」と詠
   われ、「同じく声を聞いて、皆倶に一処に会せん」とすすめてくださいます。
   先立っていったものも、後から追っかけていくものも、落ち合うところはお浄
   土だよ、といわれるのです。
    また、私たちは、お浄土を通して、彼岸、向こう岸から此の岸を見つめる視
   点をいただきます。先立っていかれた方々が彼岸のお浄土から私たちをどう見
   ておられるか、仏さまの御心と重ね合わせて考える機会をいただきます。そう
   すると、先立っていった方たちの想いを受けて、悲しみの涙のなかにも、今を
   生きる者として、やらなければならないことをやっていこうと立ち上がってい
   けるのです。お浄土は、その意味で、先立って行かれた方たちの想いを受け止
   め直すことができる世界と言ってもいいかもしれません。
    彼岸のお浄土はいつも私たちに語りかけているのではないでしょうか。